
現代社会において、慢性疾患は多くの人々を悩ませる深刻な問題となっています。
従来の医学では、症状を抑えることに焦点が当てられることが多いですが、近年では、心と体の相互作用に着目した心身医学的なアプローチが注目されています。その中で、アーネスト・ロッシの理論は、慢性疾患の理解と治療に新たな視点を提供するものとして、大きな期待を集めています。
アーネスト・ロッシは、20世紀後半に活躍した著名な心理学者であり、心身医学の分野に多大な貢献をしました。
彼は、ミルトン・エリクソンに師事し、エリクソニアン催眠をベースに独自の治療法を開発しました。
ロッシの理論の中核をなすのは、「超暗示」という概念です。
ここでいう「超暗示」とは、意識レベルでは気づかないような、潜在意識に働きかける暗示のことです。
ロッシは、過去のトラウマや未解決の感情的な葛藤が、無意識のうちに「心身プログラム」として蓄積され、これが慢性疾患の原因となる可能性があると主張しました。
ロッシは、 「indirect suggestion」を単なるの間接暗示よりも深い意味合いを持って、「個人の信念体系、価値観、期待に深く根ざした、強力な自己暗示」(a powerful form of self-suggestion rooted in one's belief system, values, and expectations)と定義しています。そこで、ここでは「indirect suggestion」を「超暗示」と訳しています。ロッシは、慢性疾患は、過去のトラウマや葛藤によって形成されたネガティブな超暗示が、心身プログラムとして身体に影響を与えている結果だと考えました。
「超暗示」と通常の暗示は、主に作用するレベルと影響の範囲にあります。
1. 作用するレベル
暗示: 意識レベルに働きかけます。例えば、「あなたはリラックスしています」といった言葉による暗示や、周りの環境から受ける暗示などがあります。
超暗示: 潜在意識レベルに働きかけます。意識的には気づかないような、 subtle な情報や刺激を通して、思考や行動に影響を与えます。
2. 影響の範囲
暗示: 比較的、限定的な範囲に影響を与えます。例えば、特定の行動を促したり、一時的な感情の変化を引き起こしたりします。
超暗示: より広範囲に、深い影響を与えます。価値観、信念、自己イメージ、人生観など、人格形成にも関わるような、根本的な変化をもたらす可能性があります。
例を挙げて説明すると、
暗示: ダイエット中に「私は甘いものを食べたくない」と繰り返し唱えることで、食欲を抑えようとするのは暗示です。
超暗示: 幼い頃に親から「お前はダメな子だ」と言われ続け、大人になっても自分に自信が持てないのは、超暗示による影響です。
もう一つ、超暗示の例を挙げると
幼い頃に「女の子は大人しくするべきだ」と繰り返し言われて育ち、大人になっても、無自覚のうちに自分の意見を主張することが苦手である場合。これは、過去の経験を通して形成された、性役割に関する超暗示が、行動パターンに影響を与えている例です。
・潜在意識に働きかけるため、意識的な抵抗を受けにくい。
・意識的に気づかれないレベルで、思考、感情、行動に影響を与える。
・繰り返し 晒されることで、より強力な影響力を持つ。
・感情やイメージと結びついている場合、より深く根ざし、変化しにくい。
・ 個人の過去の経験や学習に基づいて形成され、個人の信念体系、価値観、期待に深く根ざしている。
・強力な自己暗示: 自分自身に対する暗示であり、自己イメージや自己肯定感に大きな影響を与える。
ロッシは、慢性疾患の多くは、過去のトラウマや葛藤によって形成されたネガティブな超暗示が原因であると考え、催眠療法を用いて、これらの超暗示によって形成された「心身プログラム」をポジティブなものに変容させることで、心身のバランスを取り戻し、症状の改善を促すことを目指しました。
ロッシは、催眠療法を用いることで、患者が無意識レベルでこれらの心身プログラムにアクセスし、再構築できると考えました。催眠状態では、意識のフィルターが弱まり、潜在意識にアクセスしやすくなるため、過去のトラウマや葛藤を処理し、心身のバランスを取り戻すことが期待できます。
ロッシの催眠療法では、催眠状態を利用することで、これらのネガティブな超暗示をポジティブなものへと変容させ、心身のバランスを取り戻し、慢性疾患の改善を促すことを目指します。
ロッシの催眠療法は、年齢退行、イメージ療法、暗示などを組み合わせた、包括的なアプローチです。
:催眠を用いて患者を過去のトラウマ的な出来事に退行させ、その出来事を再体験し、未解決の感情を解放することで、症状の改善を促します。
患者に肯定的なイメージを想像させ、自己治癒力を高めることで、身体の自然な回復プロセスを促進します。
:催眠状態で患者に肯定的な暗示を与えることで、行動や思考パターンを変容させ、健康的なライフスタイルを促進します。
ロッシの理論に基づく催眠療法は、慢性疼痛、がん、自己免疫疾患など、様々な慢性疾患に適用されてきました。
例えば、慢性疼痛の患者では、催眠療法を用いることで、痛みの原因となるトラウマを処理し、痛みを軽減できる可能性があります。
がん患者では、免疫力を高め、がんと闘う力を強化することで、QOLの向上に貢献することができます。
自己免疫疾患の患者では、免疫システムのバランスを整え、自己攻撃を抑制することで、症状の改善が期待できます。
ロッシの理論は、慢性疾患の治療に新たな可能性を示唆するものであり、近年注目を集めています。しかし、まだ十分に研究が進んでいない部分もあり、さらなる検証が必要です。今後の研究により、ロッシの理論の有効性がさらに裏付けられ、より多くの患者がその恩恵を受けられるようになることが期待されます。
Rossi, E. L. (2002). The psychobiology of gene expression: Neuroscience and neurogenesis in hypnosis and the healing arts. New York: W. W. Norton & Company.
Rossi, E. (1986). The psychobiology of mind-body healing: New concepts of therapeutic hypnosis. New York: W. W. Norton & Company.
ロッシの理論は、まだ十分に科学的に検証されたものではなく、すべての人に有効であるとは限りません。
慢性疾患の治療には、必ず医療専門家の指導を受けるようにしてください。